本記事では、船井流経営法について紹介します。
船井流の経営法は創業50年で大きく変化しました。
元々の勝つ経営から、負けない経営、共生・共鳴の経営になりました。
船井流経営法の全体像を知ると
「マーケットの状況」
「企業のポジション」
「国による状況の違い」
を踏まえた正しい経営の役に立ちます。
船井流経営法の誕生
1970年代の日本
船井流経営法は、元々船井幸雄1人の考え方でした。
しかし、船井幸雄の創業から約50年経ちました。
今は、歴代コンサルタントの考え方も集まっています。
船井流の考え方を中心に、様々なノウハウ、テクニック、深い思考が継ぎ足されました。
開発当初から発展し続ける経営ノウハウです。
船井流経営法開発当時の状況を紹介します。
船井総研の創業は1970年3月6日です。
大阪万博が開催された頃です。
当時の新業態は、コンビニエンスストア・ファミリーレストランです。
日本全体が成長期
流通の主役は百貨店です。
新たにスーパーマーケットが生まれました。
消費自体が高まり、庶民の生活が豊かになってきた頃でした。
創業以前の船井幸雄は、繊維関連メーカー中心にコンサルティングしていました。
創業以降は、大型スーパーマーケットや、百貨店の多店舗展開の仕事が増えました。
世の流れに合わせてのことです。
成長期に乗って日本全体が成長しました。
1981年の1人あたりGDPが1万ドルを超えました。
1990年代には3万ドルを超えました。
船井幸雄と渥美俊一
渥美俊一のチェーンストア理論
当時流通業を中心としていた船井幸雄にはライバルがいました。
チェーンストア理論を掲げた、渥美俊一さんです。
市場が拡大する中で企業の拡大をチェーンストアを作って実現する理論です。
平坦なマーケットに効率的に店舗配置し、バイイングパワーを獲得する手法です。
バイイングパワーは、大手小売業などが持つ、巨大な販売力を背景にした強い仕入力・購買力のことです。
船井幸雄の一番店理論
船井幸雄は対極の一番店理論を掲げました。
チェーンストア理論も、一番店理論どちらも今でも使えます。
一番店理論は、
・「有利な立地」を押さえ、
・「品揃えを豊富かつ、安く」することで
・「総合力の高い店舗や企業」をつくることです。
地域一番店をつくれば負けないと考えました。
この時、3つの古典的なコンサルティング書籍が発売されました。
「船井流経営法」、「船井流競争法」、「船井流正攻法」
今も非常に役立つことが多いです。
読み返すと船井幸雄が30〜40代で、何を考え、日本が大きくなる中で何をしようとしていたかを読み解けます。
シェア一番化
当時の船井流は、成長意欲の非常に高いコンサルティングでした。
小さな存在でも徐々に力をつけ、総合1番化を目指していました。
在庫量、アイテム数、価格幅などを徐々に増やします。
お客様の選択肢が多い店を作ることを提案していました。
競合企業より早く有利な状況を作るには、量、数、幅を押さえます。
大事にしていたのが、シェアです。
商圏10億円の1億円と、20億円の1億円は意味合いが違います。
競合に対しては、10億円中の1億円のシェア率が高い方が強いです。
当時はこのような商圏内一番シェアの店を作る前提の戦略はありませんでした。
船井幸雄の発想は、将来の競合や目の前のライバルに埋もれないために、効率的に経営資源を投入し、一番店を作る経営手法でした。
市場の成熟と専門店化
市場の成熟と競争の激化
1970〜80年代の経営原理、原則、ノウハウは、競合に打ち勝つための経営理論です。
船井幸雄は、この理論で活躍します。
しかし、市場は飽和の方向へ進んでいきました。
市場にライバル企業が増えました。
ライバル企業が増える中での勝ち残りを目指すコンサルティングでした。
この時、3代目社長になる小山正彦が船井総研に入社しました。
小山正彦は実家でディスカウントストアを経営していました。
宝石などに関して深い知識や資格を持っていました。
市場が飽和し、需要と供給が頂点に達しました。
市場が成熟して、競争が激しくなりました。
その中で属性とカテゴリーを絞り込み、ベビーユニバース(小さな宇宙)の中で、勝者になるという発想が大事だと考えました。
カテゴリーキラー
企業にはカテゴリーキラー(専門店)をつくることを提案しました。
成長期は、品揃えが豊富であればお客様を引き寄せることができました。
成熟期のお客様は物珍しいから買うわけではありません。
吟味しながら商品を買います。
この中である特徴を持った商品でお客様を惹きつけます。
宝石、眼鏡、カセットテープ、酒ディスカウント店を作りました。
特徴ある専門業態店は、お客様を惹きつけます。
船井総研の提案も専門業態店に舵を切ります。
属性を絞り込んだ中で効率的に一番店を作ることにしました。
当時宝石やカセットテープを無限に品揃えすることは非効率でした。
今はインターネットで実現できるかもしれません。
・適正な店舗面積の確保
・効率の良く品揃えの充実
などの購買頻度と限界売場面積の概念を考えます。
その中で1つ1つの属性を切り出した専門店化しました。
数理マーケティングの誕生
大型店も部門別の属性を強化しました。
例えば紳士服や、女性の財布の品揃えで圧倒的一番を取るなどです。
他の大型店と比べて、尖った特徴を持たせました。
品揃えと価格を絞り込んで考え抜いてお客様に提案します。
この手法と船井幸雄の考え方を基に数学的に落とされて
「数理マーケティング」が生まれました。
小山正彦が前線に立ち、カー用品、寝具用具など、数々の専門店チェーンをつくりました。
グレートカンパニーの推進
SDGs・サスティナブルの先取り
船井幸雄は現場を離れ、少し先のことを考えていました。
「これからの社会」
「競争が激しくなる未来」
「人間は何をすべきか」
「経営者は何をすべきか」
という考えに興味を移しました。
船井幸雄の有名な本で
「エゴからエヴァへ」があります。
競争に明け暮れる社会では、地球自体が壊れると考えました。
今はSDGsやサスティナブルと謳われています。
船井幸雄は30年前にこの考えにたどり着きました。
日本全体が急激に自信をつけて先進国として確固たる地位を築きました。
そんな1990年代を突き進み、バブルが崩壊します。
その中で、より効率的なものと提案を提供し様々な試みをしました。
小山正彦も船井幸雄同様、品揃えだけではなく、心も大事だと考えました。
属性を絞り、売り方もTPOに合わせた品揃えを提案する時、お客様も喜ぶような良い企業はどう作るのか考えました。
そんな中、船井幸雄に憧れた高嶋栄が4代目社長として経営を引き継ぎました。
高嶋は「グレートカンパニー」というコンセプトで経営を推進していきます。
アメリカで見つけたグレートカンパニー
船井幸雄と高嶋栄が並走している時代、アメリカの流通視察に年2回行っていました。
当時のアメリカは日本の10年先を行っていると言われていました。
そして、大型チェーンばかりでした。
しかし、大型チェーンの前に理論上成立不可能な小さな家族経営の店がありました。
小さくても、熱狂的なファンをつくっています。
高嶋栄は絞り込んだ商圏・商品でお客様を熱狂させる経営を考えます。
グレートカンパニー化のコンサルティング
当時開発されていた方法は心のマーケティングです。
物事の提案だけではなく心理学的なアプローチでした。
結局は、好き嫌いが大事でした。
例えば、コーヒーショップが隣り合う場合です。
お客様を魅了し、惹きつける独自性を作ることが大事です。
その手法が長所伸展です。
規模が小さい欠点があっても、圧倒的な魅力、店や企業の独自性でカバーしてお客様を惹きつけます。
これが現在船井総研が取り組む
グレートカンパニー化のコンサルティングです。
お客様の熱狂を引き出し、3倍の売上利益を作れます。
研ぎ澄まされたコンセプトショップや、新しいイノベーションで作り出された業態です。
共生・共鳴の経営
社会に共生化
これから競争が激しくなり、企業の数が減少していきます。
その中で、大事なことがあります。
ある1点の素晴らしい特徴だけではなく、社会への影響力・貢献力を発揮し社会と共に地域に根付いて共生化していくことです。
「この企業があって良かった」
「なくなってほしくないから応援したい」
とお客様の心を揺さぶる共鳴共振を引き出す・共生する企業が勝ち残ります。
歴史を見て選ぶコンサルティング手法
コンサルタントは企業と業界の状況を見ます。
・右肩上がりの状況なのか
・右肩下がりの状況なのか
・さらに下がっていく状況なのか
で使う手法が変わります。
その時に適した武器でないからと成功しません。
これが、船井流経営法の歴史を学ぶことでわかります。
例えば中国のコンサルティングでは、日本の1980〜1990年代に成功した手法が良いです。
「いかに早く13億市場を制圧するか」
「地域で圧倒的な魅力がある企業を作るか」
今の日本の右肩下がりの共鳴共感とは違います。
当然中国で起こった事が、インドやアフリカでも起こっています。
船井総研はこのノウハウで世界中の企業をコンサルティングしていきます。
成熟のノウハウを多く持つ
船井総研は、成熟化して右肩下がりになってから長いです。
創業50年で歴史あるコンサルティング会社です。
企業成長が止まった後の対応を細かく研究しています。
そのため、ノウハウが多く蓄積しています。
小さい企業も使えるノウハウも多いです。
弱者であっても大きくなるヒントが沢山あります。
それが船井流コンサルティングの特徴です。
他にも創業者、船井幸雄の言葉や船井流について、ご紹介していく予定です。
楽しみにしていてください。