
2014.09.12
■ サクセスサマリー
【ビフォア】 大手食品メーカーとの差別化を図り、最高品質の商品を開発。なぜこの醤油が存在するのかを伝える大切さを知る
【アクション】 「伝える」ための店舗改装、ネット通販・DMの強化、人の集まる蔵見学で、商品への理解を深め、リピートの仕組みをつくる
【アフター】 共感を受けたファン客の固定化とともに、新たなビジネスチャンスに恵まれる。味噌もあわせたグループ全体では20年連続で上昇し続け4億円を突破
醤油発祥の地といわれる和歌山県湯浅町で、133年の歴史を持つ味噌醤油メーカー。大手メーカーの台頭で国内シェアは1%に満たないながらも、海外からオファーを得るなど引き合いが絶えない。ものづくりと価値の情報発信は、地方中小企業のモデルとなる。

丸新本家株式会社
専務取締役 新古敏朗(しんこ・としお)氏
日本食の代表である醤油は、量産技術が進み、安価に手に入れることができる一方で、材料の97%を輸入に頼っているという現状があります。第二次世界大戦の敗戦から安い脱脂大豆が海外から伝わり、国産原料の醤油は高級品になってしまったのです。およそ760年前、金山寺味噌のたまりをヒントにあみ出されたのが湯浅醤油です。

醤油作りは一切の妥協をせず、丁寧に製造している。
私は醤油発祥の地である湯浅町で5代目の跡継ぎとして生まれ、父の味噌・醤油づくりを背中で教わり育ったにもかかわらず、大人になるまでこうした背景を知りませんでした。これは大変なショックでした。父からは常々「ええもんつくらなあかん」と聞かされていましたが、「ええもん」の背景にはこの地に伝わる歴史があったのです。湯浅醤油の存在理由を人々に知ってもらいたい、私はええもんを作り、その価値を味わってもらうことを使命と感じました。
世界一の醤油をつくる今考えられる最高の作り方、考え方を最優先にした、私どもだからできる世界一こだわった商品を誕生させました。なかでも「湯浅醤油魯山人」は、完全国産、無農薬・無肥料で栽培された大豆、小麦、米を使用するなど、業界ではありえないほど原材料や製法にこだわった商品です。卸を通していては私どもの想いが伝わらないため、自社直販で売ることにしました。売り場作りやリピートしてもらう仕組みを船井総研とともに構築しました。

(写真左)「湯浅醤油魯山人」は業界でもありえないほどの原材料、製法にこだわり、奇跡の醤油といわれている。
(写真右)国産原料を使用、無添加の生一本黒豆は海外からも買い付けのある最高の醤油
また、商品を売るだけでなく、来られた方の思いに残る施策を施しました。目指したのは旭山動物園やディズニーランドです。醤油蔵を見学できるように改装し、醤油づくり体験も始めました。たかが醤油ながら、国内外から年間10万人近い観光客が訪れ大変喜ばれています。湯浅の醤油をひとりでも多く知ってほしいため、たとえお客様がおひとりでも蔵を案内し、丁寧に説明しています。

(写真左)2010年マドリッドの展示会でミシュランに醤油を紹介
(写真中)小学校への出張授業や「マイ醤油づくり」といった食育
(写真右)記憶に残る蔵見学。「蔵カフェ」の湯浅醤油ソフトクリームも人気
宝物を磨き伝える、地方中小企業の使命
商品作りに妥協せず原価にもこだわりません。「魯山人」は市場価格をはるかに超えた200ml 1,512円という価格です。商品ラインアップの中で最も高価格ながら、販売3ヶ月で1万本が売れました。商品価値が伝わっていると感じます。業績については、実は先日の船井総研のセミナーで講演するまで算出したことがなく、毎年生産が増えていることを感じていた程度でした。実際には醤油部門で2億円を超える年商となっていました。
湯浅に醤油があるように、日本中にすばらしい素材はたくさんあり、そしてすぐれた技術を持つ中小企業はたくさんあります。しかしながら、高度成長期の古いものよりも新しいものを取り入れていった時代の名残から、本来の力を発揮できず、今は泣かされているのが現実ではないでしょうか。私は努力の余地はまだまだあると感じています。都会から考え方を学びながら、地域を活性化させてほしい。
本当に豊かな食材は田舎にあると確信しているからです。今後は、規模の拡大は考えていません。むしろ規模の成長は止めなければならないと思っています。それよりも、醤油づくりへのこだわりが、思いもよらなかった人やモノとの出会いを生んでいるように、湯浅という土地から、醤油を通じて未来が切り拓かれていることを強く感じています。

店舗の様子。見学者はもちろん、こだわりの醤油を買いに遠方からもやってくる。
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