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丸光食品株式会社は、宮城県気仙沼市で1958年に「丸光製麺工場」として創業開始。以来53年にわたり、地域の皆様に支えられ、うどん、日本そば、ラーメン、焼きそばの製造販売を続けてきました。
「気仙沼海鮮ふかひれ生ラーメン」は、第11回みやぎものづくり大賞優秀賞を受賞するほどの特徴と美味しさがぎっしり詰まったラーメン。そして、麺・天ぷら・つゆが1セットになった「天ぷらうどん」も創業以来地元の人々に愛されているロングセラー商品です。地元のスーパーには必ずと言ってていい程、この天ぷらうどんが顔を並べておりました。
3月11日震災当日、私(中野)は丸光食品の本社にお伺いしておりました。大きな揺れの直後、本社工場では熊谷社長が真っ先に従業員全員に避難指示を出しました。その後、私と同行していた船井総研の社員2名を車に乗せ、急いで海から遠くへと逃げました。
が、途中渋滞にはまり、後ろから押し寄せてくる津波から逃げる為、車を乗り捨て一心不乱に近くの山へ駆け上りました。
「あのまま車に居たら、津波にのまれていた。本当に、間一髪で逃げる事ができた。判断が1分でも遅かったら駄目だったと思う……」
と熊谷社長は言います。私も熊谷社長と共に逃げたおかげで、命が救われたのだと思っております。
同時刻、奥様の熊谷専務は、車でお客様のところへ向かう途中でした。東北道の栗原市です。「突然の大きな揺れに何が何だか分からず、目の前のアスファルトが波打ちはじめ、地面が割れ始めました。一瞬死を覚悟しました……。余震が次々と襲い掛かってくるので、路肩に止まったトラックの運転手さんの所へ駆け寄りました。本当に恐ろしかった……。幸い携帯電話が通じて家族全員の安否が確認でき、ひとまず安心しました。それで急いで自宅に戻ったのですが、途中、海の方が火事で真っ赤になっていて……。でも、それが海側のどのあたりで起きているのか全然検討も付かなかったのです。」
数日経って工場に行ってみると、そこには釘一つありませんでした。本社、工場、創業者の祖父の自宅が全て跡形もなく流されていました。あの遠くから見えていた赤い海は、まさにこの工場からほど近い沿岸一帯だったのです。「本当に何にも無いんですよ。大きい機械も何もかも。涙が出るのを止められませんでした」。
全てが終わってしまったと途方にくれていた矢先、
ミュージックセキュリティーズ株式会社からファンドの立ち上げの話が持ち込まれました。三陸沿岸の事業者数社で「セキュリテ被災地応援ファンド」を立ち上げよう、という話です。なぜ声をかけていただけたのかというと、震災前より仙台でボランティア団体を運営している知人がTwitterで「地域に根ざした企業を何とか助けたい。方法を探しています!」とツイートしたのをミュージックセキュリティーズの方が読まれたそうなのです。
「一時は廃業も考えました。でももしもう一度チャンスがもらえるなら、気仙沼の復興の為、従業員や応援してくれた地域の皆様の為に頑張りたいのです。天に与えられたこの命、地元に対して自分ができる事、食を通して復興をしていきたいと考えるようになりました」
ファンドでは8千万円を募集中。各地を回り、会社説明をしながら、皆様にファンドのお願いをしています。現在約940名(2011年11月7日現在)の皆様が応援してくださり、資金も徐々に集まりつつあります。
セキュリテ被災地応援ファンドを立ち上げる一方、自分たちでも再起の為に一歩ずつ進もうと歩みだしています。以前よりお付き合いをしていた株式会社気仙沼成果物流市場のご好意により、市場の一角を
間借りして商売を開始、夫婦二人で再建へ向けての一歩を踏み出しました。

工場跡地は地盤沈下+大型台風の影響で
路が水で埋もれており近づく事ができませんでした。 |

気仙沼成果物流市場の一角をお借りして営業を再開 。 |
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仮店舗の内部。ここで毎朝社長が手作業で販売中。 |
「毎朝6時から野菜を仕入れにくる業者の方に少しずつ販売しています。それが唯一、今の収入です。販売できるものは限られていますが、丸光食品は営業を続けているという事がお客様に分かっていただけますし。取引先のお客様は『待っているから!』と言ってくださるものの、いつまでも待ってもらえるわけではないですから。だから一日でも早く製麺をスタートさせたいのです。『お宅の麺が食べたいんだよ』と言ってもらえているうちに」
再建に向けて資金繰りに走りますが、大きな壁がいくつも立ちはだかります。製麺の為にはやはり工場を建てなければならないからです。それには、排水に伴う浄化槽が必要となるのですが、浄化槽だけで4,000万円。この金額を提示されて、再建を諦めた企業がいくつもあります。金融機関を何社も回りますが答えは一つ。「担保はありますか? 担保が無ければ融資は難しい。決まりは、決まりです」
「悔しくて悔しくて、何度も涙が出ました。全てを流された今、担保といっても工場跡地しかないし、土地は金融機関だと担保として扱ってくれないですし……」
しかし、悲しんでばかりはいられません。そう思っていた頃、工場の建設ができそうな土地を紹介していただきました。「融資内諾証明書」が発行されない為建設の話は進んでいませんが、土地を見つけられた事だけでも大きな前進です。
「数々の障壁にぶつかりながらも、手を差し伸べてくれる人達の優しさに触れ、どうにか頑張る事ができています。これからも諦めずに前に前に進んでいきます!」と語る笑顔の中に希望が見い出せました。
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